2004年12月26日

!!!

町田嘉章や武田忠一郎のことが知りたくて
ウェブを巡っていたとき
偶然小関康幸氏のHPに行き当たった。

戦前戦中の音楽雑誌に関して
まとめられた項があったんだけど
閲覧していて思わず石化した。

驚いたよ。

「作曲家藤井清水」に
ひょっとして載せられていない曲や論文が?!

「音楽文化」という雑誌の1巻1号の
民謡 前田千刈<楽譜> 藤井清水 1943.12 1巻01号 (12)-(13)
民謡 小櫻<楽譜> 藤井清水

これ・・・。
作曲年表を洗いなおしたが
見つけることができなかったんだ。
しかし作曲年表は
自筆で書いたもののはずなのに。

書き落としたのは、なぜ・・・。

おなじ「音楽文化」2巻4号の
桃台に(広島県賀茂郡西篠**唄)<楽譜> 藤井清水 1944.04 2巻04号 (10)-(12)
伊達の富士絹(福島県伊達郡機織唄)(女声三部合唱)<楽譜> 藤井清水

これも見つけられなかったんだけど・・・。

「作曲家藤井清水」お持ちの方、
もし作曲年表に記載されていたら、
教えてくださいよ。

後は「音楽之友」2巻10号の
 作曲素材としての民謡 藤井清水 1942.10 2巻10号 p.57-63
    
・・・これも。

どうも大学図書館で
持っているところがあるらしいが。
これら戦中の雑誌・・・。

読みたい
読みたい
読みたい(自爆

しかし
大学に納められていたら
私みたいな一般人では
借りに行きづらいものがある。
開架されてなければなおのこと・・・。

くぅぅ・・・
コピーでいいですから・・・(自滅

 

posted by 夢野舞歌 at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ささいな違和感。

ほんのささいなことなんだけど。

藤井清水は晩年、
町田嘉章と一緒にNHKの嘱託になって
民謡を採譜して回っている。

それで、だ。

つい先日、
図書館に行ってきた。
「日本民謡大観」を少しでも読むために。

で・・・
あれっと思ったわけよ。

疑惑めいたものは
町田嘉章の「日本民謡集」(岩波文庫)を
購入してみて
改めて強くなった。

一緒に採譜したにしては、
ほとんど藤井清水のことについて
触れられていない?

・・・一緒にやったなら
ある程度相手の紹介など
入るんじゃないかと思ったんだが。
そんなのないわけで。

で、「作曲家藤井清水」をひっくり返してみても

・・・ない。

町田嘉章に関する記述が一切ない。

なんでだ。

民謡採譜の頃の
藤井清水の年表は
実はかなり白い。
曲は一杯あるのに
項目がほとんどなかった。

謎ばっかりだ。
二人の接点とか
どの辺を共同作業したのかとか
そういうのが全然見えてこない。

町田嘉章に関しては
本の形で資料は持ち合わせていなかったので
HPに行って見たが。

伝記のでの字もないんだな〜〜。

結構労力の要る仕事したわりに
何者だ、この人(汗

町田嘉章について
何か手がかりはないのか・・・。

posted by 夢野舞歌 at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月08日

合わない。

面白い本を
手に入れた。

「日本民謡辞典」

開けてみて驚愕。

民謡について
なんと細かいこと。
参考になる楽譜や本のリストまであるし。

すっごい。

民謡について
結構細かい考察なされてるし。

ちなみに
藤井清水の名前もちゃんとある。

彼の項を抜粋させてもらおうか。

「藤井清水 1889−1944
広島県生まれ。作曲家、民謡研究家。
作曲家としては山田耕筰に師事し、多くの新民謡や歌謡曲を残している。
主な作品に(犬山音頭)(九州小唄)などがある。
その他、作曲の素材として日本民謡の採譜に手をつけ、民謡の楽譜化に力を尽くして、日本民謡の音楽的研究の推進に多大の貢献をした。
NHKの「日本民謡大観」関東編、東北編の採譜を担当。
以後、日本民謡集に楽譜が大きなスペースを占める先鞭をつけた。」

??

今書きかけて気がついた。
年齢差と年表の記載を考え合わせると

そんな・・・

藤井清水が山田耕筰に師事したなど!
なんかおかしい・・・。

だってさ。
山田耕筰は、1886年6月9日に生まれて
1965年12月29日に亡くなられたわけでせう。
年齢差3歳で・・・か。。。

それでも1910年から1913年まで
山田耕筰はドイツ留学してたわけでしょ。
そのとき藤井清水は中学生・・・

「音楽家 藤井清水」の本のほうでは
こう書かれている。
「大正9年、山田耕筰がドイツ留学から帰朝して間もない頃、清水の作品を見て、非常に驚き、[自分がドイツで5年もかかって苦心研究したことを、藤井君は日本にいて平気でやっている。」といった(大正12年1月5日付九州新聞)」

ちなみにP24より抜粋。

あれ。
計算が合わない。

大正9年っていったら
1920年だわな。

留学したのは
1910年から13年までのはず。
(抜粋元・・・ウィキペディア)

・・・合わない。
おかしい。

あと大正9年に言ったことなら
なんで大正12年に新聞にこんなこと言うんだ?

・・・???・・・

正誤表以前に
文章が変だぞ。

パニックしてきたので
正しく調べなおしてみよう。
明日は仕事休みだしな。

 

posted by 夢野舞歌 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月02日

郷土の唄ー船唄

先日の各地のひなうたの続きである。
今回は船唄の抜粋の巻・・・



「順序としてまづ私の郷土(広島県安芸郡中部)に唄はれてゐる物からはじめよう。
この、郷土の唄だけは先年発表した稿に基き、それを其後、蒐集したものを加えて説くことにする。
断っておくが「郷土の唄」と一口に云ってもここに集めたものは必ずしも郷土で生まれ郷土のみで唄はれてゐる(もしくはゐた)唄ばかりではない。

殊に古い時代の唄には、それが純郷土的のものか、または一般に流布した流行小唄の類に属するものか、そこにはっきりとした断定を下し難いものがある。
そのへんは厳密な区分をせずに置いた。

イ 船唄

金色の柑子が目に輝く芸南の高畑に立ち尽くして紫になごみ渡った沖合いを見渡せば、大島小島は薄く濃く霞に浮んで、瀬戸内海はまさに一幅の画図である。

この美はしい内海を西に東にすべり行く舟はさながら遠い夢の国から流れてくるような唄声を波の上に伝える。
その暢やかな、(のびやかな)しかも形状しがたい放大な音調は、いかに良く彼ら船人の生活と情趣とを表現せるかに思はしめる。
但し玆に採譜した旋律Aはこの船唄が私の郷里の農村で農民の作業歌として転用されているものであって真の船唄の原型を完全に保有していない。
俗間よく唄われている舟歌としての旋律はいま少し単純素朴なものである。
Bの如きがまづ略ぼ原型に近いものであろう。

左に掲げた歌詞は最も人口に膾炙せるものである。

♪ヤァレ船頭可愛や音戸の瀬戸でヨウ、
   一丈五尺の櫓がひわるヨウ(または「しわる」)

♪沖の暗いに白帆が見える
   あれは紀の国蜜柑船

これもよく人に知られたものである。
この歌詞は岡山県小田郡の船唄として文部省の本に出ている。
広島県の部には載せていない。
(俚謡集拾遺281頁参照)続きを読む
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2004年11月29日

各地の鄙うた(ひなうた)

思い切り孫引きになるが
文章を載せてみようと思う。
雑誌「芸術と教育」第2巻第2号より4号まで
3回にわたって乗せられた文章である。
長い文なので、
分割して載せてみたい。

「・・・私が各地のー殊に郷土のー唄を研究資料として蒐集(しゅうしゅう)し始めたのは随分久しい以前のことである。
たしか大正五年頃、母校の機関雑誌「音楽」でその若干を発表したことがある。
また、大正二、三年頃書き綴った文章を出して読んでみると、
「正月もござった、お逮夜もござったー」
幼い頃の童謡がふと心を掠めて過ぎってゆく。
というような言葉がある。また
「蝶々とまれ、菜の葉へとまれ
    菜の葉が切れたらわしが手へとまれ・・・」
 冷やめし草履突っかけて麦畑を蝶々追うた少年の頃を夢のように思い出しつつ云々
とも書いている。
(この「正月もござった」や「蝶々とまれ」は私の郷里でうたわれていた古来の童謡である。)
恐らくその頃の一般社会でまだ余り「童謡」などと云っている人は(特殊の研究家、作家の外は)無かったらうと思はれる。
私は早晩こうした機運の向いてくることをよかんしていたという訳でもないけれど、土の上に漂うこれらの懐かしい響きが、教養のある人々によって少しも顧みられずにいる間は、ヤレ国民音楽の創設だなどという尤もらしい唱道も畢竟(ひっきょう)机上の空論に過ぎない、といおうようなアイロニイを感じていたのは事実である。
サクサクと踏む土の響きの嬉しさよ。
ほの匂う草の香の懐かしさよ。
毒気に満ちた都会病に感染している日本の音楽芸術は「土」によってしか救われない。
安香水と人いきれで蒸し上げられた翻訳音楽は、あのすがすがしい草の香に洗はれて後に蘇るであらう。
私が長い年月と労力を費やして蒐集調査し得たこれらの鄙唄を何物にも換えがたい貴重なトレジュアーとしてこのごろ私はしみじみと眺めている。
それは10冊の理論書を以てするよりももっと直接に私自身が肥やされてゆくニュートリティであった。
農村の青年処女は愚かしくも鍬をすて鎌を投げて都市に走り、かの目まぐるしい器械文明の渦中に身を殺すこと尚且つ火を慕い寄る夏の虫のそれにも等しい。
かくて若き「たましい」は滅び、彼らのなさけの華をうるおせしリリックポエムは時と共に煙滅してゆく。
ああ遂に何が残るのか。
若人よ、野に還れ。かがやく麗日と、みどり吹く風と鳥の声とーそれは「自然」の胸に満ち溢れた「いのち」の讃歌である。
前述の、母校の雑誌へ私の研究を発表したのは、当時誌上で民曲調査の寄稿を求めてゐたからである。
が、これに応じて稿を寄せたのは私一人であった様に記憶する。
で折角意義ある此企てもそれきり立ち消えとなってしまった。惜しい事である。
(ずっと以前文部省から、全国の俚謡を集成した「俚謡集」並びに其後「俚謡集拾遺」が出たが、これらは詞章だけのもので、此方面の文学的乃至歴史的研究には絶好の資料であるが、音楽上の参考資料としては余り役立たぬ)
其頃の音楽者で斯うした研究の必要さー否、「興味」をすらもー感じていた人が無かったのであろう。

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posted by 夢野舞歌 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水資料抜粋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月27日

思考パズル

つらつらと思考錯誤してるが
まったくまとまらない。

いったいどの辺から
この人について
調べていったらいいのやら。

それがまとまらないことには
図書館に出かけても
始まらないしな・・・。

手元にある
藤井清水について
記載された本は2冊。

呉市の郷土史研究会の方が作られた
「作曲家 藤井清水」
もう一つは
野口雨情に師事されていたという古茂田信男氏の書かれた
「雨情と新民謡運動ー藤井清水・権藤円立らと共にー」

そう、
前にちょこっと流し読みしただけなんだけど
野口雨情の本を読んでいると
絶対に何度か出くわすんだよな。
「藤井清水」の名前。

かなり親しく交流していたし。

けど逆の視点で本は・・・ない(汗

でも人となりを知るんだったら
「作曲家 藤井清水」を何度か読めば
ある程度の把握はできるかも。

生前関係された方の
手記など結構載せられているから。

と、なると・・・。

ここまで考えて
はたと気づいた。

 

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posted by 夢野舞歌 at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月25日

彼の代表作とベルトラメリ女史のこと

あまり時間がないとはいえ
こうしてネット上にて走っていても
かなり面白いサイトに出会うことはままある。

少しでも時間があれば
こういうサイトからでも
読み込んで行きたい。

藤井清水といえば
ご存知の方は
「河原柳」連想される人も
多いかもしれない。

けれども、
藤井清水自身は
「河原柳」じゃなくて
「港の時雨」や「佐渡島」の方を
歌ってほしいとは
よく言っていたわけ。

流行するためには
とっつきやすい節であることは
かなり重要だとは思う。

だけど
彼の本質は
学問的なところもある
純粋な芸術家だったから、
大衆のニーズに応える、なんて
そんなことはほとんど一切
やらなかったわけだよね。。。

で。

彼自身は
日本のココロを
三味線譜とかじゃなくて
読みやすい五線譜に
表記することの方を
かなり追求していった。

できた順序から言うと
河原柳の方が先だったわけで
これなどは
追求する途中の形だったんだな、彼にとっては。

どちらかいうと
彼自身の思い描いていた
日本の音楽の形は
「港の時雨」の方だった、かも。

ただ
歌い比べ聞き比べると分かるけど
「港の時雨」も「佐渡島」もむずい(T_T) ウルウル

彼自身売込みをほとんどしなかった
・・・なんてこともあいまって
歌いやすい河原柳のほうが
代表作として広まったのかもね。

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posted by 夢野舞歌 at 00:57| Comment(7) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月24日

個人的な望み。

多くは語らない。

楽浪曲、聴きたい。
誰か再現してくんないだろかね。

テープを探そうにも
戦争の真っ只中を通り過ぎているものなら
焼けてしまっている可能性
かなり大。

・・・んー。
楽譜はあるのかな。

聴いてみたいんだけど。
実際に演奏されたものを。

浪曲にピアノ伴奏。

想像を絶するほどでもないが
それでも想像しづらい。
やっぱりついてくるのは
三味線だよな。

楽譜・・・
借りようかな・・・。
私だけでは演奏できないんだけど・・・。

posted by 夢野舞歌 at 20:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月23日

1916.12.31日記より。

1.東京音楽学校を卒業したこと

2.今春帰郷して以来一生の事業として年来努力苦心した邦楽調査が大いに進抄したこと

3.郷里において青年男女に対し通俗的音楽講述をしてその趣味を涵養し、荒頽した郷土の思想の向上に幾分でも貢献したこと

4.軍隊に入ったこと


抜粋なんで原文はない。
ちなみに「作曲家・藤井清水」P20.

ささいなことなんだ。

問題は2.

このとき彼は邦楽調査をどこまで調べていたのかな。
卒業してすぐだよな。

それを示す手がかりが
まだ見つからない。
この時点で
どこまでやっていたんだろう。

ほんの些細なこと。
posted by 夢野舞歌 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水資料抜粋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月21日

歌劇はどこへいった

気になることをつらつら書いて
何とかまとめようとしているけど。

何か見えてくるだろうか。

この間やっと
藤井清水の年表をまとめてみた。
その中で一つ注目したのは
「歌劇」の項。

作曲年表には歌劇が21ある。
このうち公演されたやなんやかんやで
判明している分は8つ。

「生命の謎」は
学校の先生時代にどうも
小倉高等女学校の方で学芸会みたいなので
公演したようで。
作詞者より回想録があった。

「治承の春」と「裸大名」は
昨日もちらとお話しした楽浪曲ですな。

「成吉思汗」「平重衡」「燈籠大臣」「兄さん閉口」は
宝塚で上演された。
こいつも記録はある。

「乱曲」は
帝国劇場で上演されたとある。

そのほかは・・・?

この本どこをひっくり返しても
記録がない。

んーーー。

楽譜も一回
試みに探したことあるんだな。
しかし資料室には
しまわれていなかったと記憶している。

これだけ作っておいて
あとは上演されなかったんだろうか。
しかも昭和14年の5月に多量に作成して
その後まったく上演のチャンスなかったんだろうか。
それとも

・・・出さなかったのか?

いったいなぜ。

現実
ホントに少しずつしか進めない。
本の購入とかもできてないし
図書館に行くこともできてない
けど。

調べなきゃいけないだろうな。

そしてその行方不明の歌劇の中から
もう一つ気になることを。

「清姫の執着」。
これはじつは作詞者書いてない。
歌劇・・・なのか?

そして同じタイトルが
管弦楽の方にもあるんだな。

歌劇のほうの「清姫の執着」は
昭和8年4月4日という日付がついている。

しかし。
管弦楽バージョンの方は
作成日不明。

あれっ?

何か引っかかる。

なんだろう。
チャイコフスキーとかが
歌劇で演奏した曲を
ダイジェストにまとめて
組曲にした
あんな感じなんだろか?

でも
楽譜も多少読みづらかったが
そんな風に曲を分けた形跡なかったけどなー。

おんなじものなら
両方とも同じ日付つけないとへんだし。

なんだろう、この二つの関係は・・・。
posted by 夢野舞歌 at 14:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 藤井清水的随想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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